まち歩き 歴史

昔中津、今曽根に東光院 萩の寺 @豊中市

投稿日:2014年9月24日 更新日:


川を自転車で走っていたら萩が綺麗に咲いていたので今度ローソンができる中津1丁目の「萩の橋」の碑の事を思い出して東光院 萩の寺に行ってみたくなりました。中津からは阪急宝塚線で曽根駅下車です。この東光院 萩の寺はもとは北区中津にありました。上記に書いた中津1丁目の「萩の橋」の碑の跡が山門手前の橋でその奥にお寺がありました。

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東光院の歴史は古く行基菩薩がこの地を訪れたとき、浜に風葬されている光景を見て、民衆に我国で初めて火葬の方法を伝授しました。天平7年(735)、行基68歳の秋のことといいます。行基菩薩は荼毘に付した死者の霊をなぐさめるため、自ら一体の薬師如来像を造り、その仏前に淀川水系に群生する萩を手折り供えました。それを縁に人々の浄財で薬師堂を建立したのが東光院の始まりです。とあります。
まだ紹介してませんが「 行基菩薩開基南濱墓所」とも関係あるのかもしれません。どちらにしても行基がこの地に火葬の埋葬を伝授した地であることは間違いなさそうです。
淀川の萩の花
大正4年に中津からこの曽根に移設されるわけですが、中津時代の名残が入り口の萩の寺の山門(薬医門)です。昔は大阪城代をはじめ諸大名が参詣されたという「萩の橋」が有名でした。この地へ移動したのは阪急電車が大きくかかわっておりおそらく明治の終わりに箕面に動物園を作ったりと宝塚沿線に色々な名所を設置したく曽根には中津にあったこの東光院 萩の寺を移設し沿線のブランドアップと鉄道輸送の底上げにしたかったんではないでしょうか?
haginohashi
昔の曽根に移った東光院 萩の寺も手前には池があり今は下が公園ですが延命橋が架かっているのできっと萩の橋も模して作ってあったに違いありません。しかし残念ながら昔ほど萩の寺と名前を聞かないのでもしかすると曽根に移ったのは失敗なのかも知れませんね。淀川沿いと行基さんの伝説が薄らいでるようにも思えます。
失敗成功は置いておいて、小林一三さんも宝塚歌劇だけでなくこの東光院 萩の寺や箕面に動物園などさまざまなことをやられています。そのスケールはすごいですねぇ。

名称:東光院 萩の寺
住所:〒561-882 豊中市南桜塚1-12-7
電話:06-6852-3002
営業時間:09:00~17:00
ホームページ:東光院 萩の寺

豊中市南桜塚1-12-7

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平井 裕三(管理人)
どんな時でも楽しく人生の達人(Master of Life )を目指し、かまやつひろしの「どうにかなるさ」を口ずさむ40代のおっさん。 個人の活動はMaster of Life』で発信中。上の名前をクリックするとjumpします。

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