ディスレクシアとは何か、そこから見えた子どもの育て方
今年の3月に港区で「サルから始まるアプリのおはなし」という講演会を聞く機会がありました。
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京都大学霊長類研究所教授 NPO法人発達障害療育センター 理事長 正高信男氏と言う方がお話しくださいましたが、内容はとても勉強になりました。
ケータイを持ったサルの著書正高信男先生
正高信男先生は、ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊 (中公新書)という本を、2003年に出版し発行部数20万部越えのベストセラーとなった作品を執筆された方です。
ケータイを持ったサルの内容は賛否両論ありました。ちょっと過激なタイトルからも拒絶される方も多かったかもしれません。
しかし、当時、若者が携帯電話を持ち歩き、いつでも通話やメールでやり取りできるようになったことで他者との関係の持ち方まで変えてしまったということや、生活空間での公私区分があいまいになり若者は公的な場所でも傍若無人な振る舞いをするようになったなどについて、正高先生の持論は、なるほど・・・・と思われた方も多かったと思います。
ディスレクシアとはLD(学習障害)の一種である
そして次に最近の若者の話ではなく発達障害、特にLD(学習障害)の子どものコミュニケーションのお話になりました。
そんな中ディスレクシアと言う単語が出てきました。私は初めて聞いた単語でしたが
アメリカでは約1割くらいの方がこの障害を持っているそうです。日本はそれより少ないそうです。
それは日本人が優秀だからではなく、ひらがなになります。かなは読み方は一つなのでアクセントさえ気にしなければ発音することが簡単な言語です。しかし英語は例えば「i」と言う文字は「アイ」と読んだり「イ」と読んだり前後の文字によって変わります。この変則性がディスレクシアの人が多い理由です。
日本でのディスレクシア
ディスレクシアといっても幅があります。例えば小学校の国語でこのページを家ですらすら読めるまで練習してきなさいと言う宿題があればまったく家で読まなくてもすらすら読める子もいれば、何回も練習してもうまく読めない子がいる。
この読めない状態のひどい子はディスレクシアの可能性がある。
しかしディスレクシアは読み書き以外の判断はすらすらとできます。例えば文章を読まずに横の人が読んで聞かせればきちんとその内容を理解し、思ってることを発言するとすらすらとしゃべることができます。
つまり読み書きを別の手段で置き換えればすらすらとできるんですが、読み書きが必要な時だけ詰まってしまうんです。
上記の理解がすすんでいる外国では例えば免許の試験ではディスレクシアの方には横で問題を読んでくれるボランティアさんを付けることもできるそうです。このような発想はいままでの日本にはなく、ディスレクシアと言う学習障害の一種が少しでも多くの方の理解を得られればと思います。
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