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懐かしの牛乳受け箱(春日牧場@茨木市)

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十三の飲み屋で牛乳の話になりました。雪印、明治、森永、毎日を除くと、岡崎牛乳や太田牧場、春日牧場などの名前が出てきます。あと珍しいのでは保障牛乳など。

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最近このあたりに引っ越してきた方には岡崎乳業や太田牧場、春日牧場なんて名前はなんやそれ?と言わます。

そうです。この3つの牛乳製造会社はこのあたりだけで営んできた会社なのです。春日牧場の歴史は明治35年に大阪府から製造許可が出て平成7年に茨木工場を閉鎖して摂津市に移転し平成15年に閉鎖になるまでの期間牛乳を製造をしてきました。

茨木でも庄屋の野口家の分家が、ちょうど吹田で大日本ビール(現在のASAHIビール)の工場から出るビール粕の処理を牛に食べさせてはどうかと言うところから牛乳と言う発想になったようです。当時牛乳は貴重だったんでしょうね。

そんな春日牧場、茨木では小学校の給食にも指定され茨木あたりの小学生にはおなじみでした。毎日牛乳のようなデザインで紫色に白字で春日牛乳と書かれていました。(KK春日牧場だったかも)

私の知っている春日牧場は国鉄(JR)線路傍のコンクリートの工場です。

引用元:有限会社マキバ

引用元:有限会社マキバ


今はマンションになっています。

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このマンションと右の美容室との間にある側道はずっと舗装されないのですが、何か理由があるんでしょうね。その横はつるが湾と言うお好み焼き屋さん。なんでつるが湾なんだろう。この道は北行きの一方通行でJRのガードを超えるまでどれくらい車が並んでいるのかわからずにギャンブル性が高い道路でした。交差点にあるロイヤルホストも一時通り抜け禁止にバーをこしらえてましたが、今はないようです。舗装されない道路も市営松ケ本住宅に車が行かないように舗装しないのでしょうね。

春日牧場は茨木の工場をでてどういうわけか岡崎牛乳の工場で春日牛乳を作り続けます。この時に岡崎牛乳は無くなったようなので岡崎牛乳の方が貴重なのかもしれません。

そして平成15年に100年の歴史を終えました。そんな春日牧場の遺構を探しに久しぶりに茨木の地に向かいました。

探すは春日牧場の牛乳受け箱

エリアはJR周辺に定めてまずは上中条から田中あたりを歩きましたが、見つかりません。1時間歩きやっと見つけたのがこれ

春日牧場の牛乳受け箱

左上の国旗掲揚用の器具も渋いですが、この牛乳受け箱はプラスチック製の物でした。私が探しているのは昔よく見た木箱です。

さらにあたりを捜索。しかし見つかりません。捜索範囲を広げました。でも見つかりませんでした。これでは利根4号機のせいにしてしまいます。もう一度コンビニで栄養補給をして索敵開始。

このあたりは亀岡街道沿いの昔ながらの大きなお屋敷が並ぶ地域です。

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探すこと30分ついに見つけました!

春日牧場の牛乳受け箱

蜘蛛の巣と蝉の抜け殻のようなものがくっついていますが間違いありません。

今回のことで知ってる牛乳メーカーで住んでいる地域がある程度わかるようです。茨木は産業道路千里丘寄りの宇野に名糖の工場があったり、中環の新芦屋下に東伯の物流センターがあって蒜山の乳製品が売ってたりとスーパー以外でもいろんなメーカーのものが手に入りました。

名称:元春日牧場茨木工場
住所:〒567-0033 大阪府茨木市松ケ本町5-38

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平井 裕三(管理人)
どんな時でも楽しく人生の達人(Master of Life )を目指し、かまやつひろしの「どうにかなるさ」を口ずさむ40代のおっさん。 個人の活動はMaster of Life』で発信中。上の名前をクリックするとjumpします。

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