電車というものはただ単に人を目的地に輸送するものだと、電車に何の興味もない方は思うかもしれませんが、阪急電車もよくよく観察するとどの子もそれぞれに特徴があって愛着もでてきます。
阪急電車は神戸線、宝塚線、京都線がありますが、大きく分けて神戸線と宝塚線それと京都線は違いがあります。
その差は阪急電車の4桁の番号の上から2桁目で見るのがわかりやすく神戸線と宝塚線は○0○○(0か1)と○3○○に分けられます。Wikipediaに紹介されているのがわかりやすいので引用しますと
もともと現在の京都本線や千里線・嵐山線は、京阪電気鉄道(京阪)の子会社であった新京阪鉄道が建設ないしは買収(京都本線と千里線のそれぞれ一部にあたる十三 - 淡路 - 千里山間は北大阪電気鉄道が建設)した路線である。
その後まもなく新京阪鉄道は京阪電気鉄道に合併されるが、戦時統制の一環として陸上交通事業調整法に基づき1943年(昭和18年)に宝塚本線・神戸本線系の路線を建設・運営していた阪神急行電鉄(阪急)と京阪電気鉄道が合併して京阪神急行電鉄[1]が発足した。
戦後になって経済民主化の方針から再び京阪電気鉄道を1949年(昭和24年)に分離することになったものの、元新京阪鉄道の路線は京阪神急行電鉄にとどまったことで現在の形になった経緯がある。
そのため阪急が自力で建設した路線とは路線規格(たとえば現在でも、京都本線淡路以東の上下線の間隔は他線よりも広く、その分、離合の際に生じる空気衝撃が小さい)や車両・架線電圧(京都本線系統は1500Vに対し、元の阪急の路線は当時600V)・電装品(京都本線系統は東洋電機製造製に対し、元の阪急の路線は東芝製)などさまざまな面で異なり、結果京都本線系統の路線を宝塚本線・神戸本線系統の路線と区別して呼ぶ習慣が生まれ、後者の総称としてこの語ができたと考えられている。もっとも、「神宝線」の語ができた頃は宝塚本線系統と神戸本線系統とでは車両規格も異なっていたが、現在は統一されている。
神宝線用は床下機器は東芝製、京都線用は床下機器は東洋電機製造製と違いもあります。また車両の幅と長さが異なり
(例)9000系(神戸・宝塚線)の車体長:18400mm・車体幅:2730mm、9300系(京都線)の車体長:18300mm・車体幅:2780mm
京都線は地下鉄堺筋線と同じ規格のため。
なので神戸線の直通嵐山行きは神戸線の車両を使用します。
相当な阪急ファンになれば京都線の車両は横に長いのでしまりが無いと書いてたりしますが、私はこの5cmの差はわかりません。まぁそんな風に掘り進んでいけば色々な物語がある阪急電車を私なりに紹介していけたらなぁとおもいます。
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