「巻き寿司の丸かぶり」は此花区の伝法(当時の申村=さるむら)が「発祥の地」と言われています。
いつの頃からか節分の2月3日になると「巻き寿司の丸かぶり」という風習が定番になりましたが、記憶に残っているのは私が小学校高学年の1980年代中頃だった気がします。当時茨木市という町に住んでいた私は、学校から帰ってくると、近所の小僧寿しか、けいちゃん寿司に巻き寿司を買いに行かされました。
けいちゃん寿司ってもう今は無いんやろか、春日丘高校の近くのイズミヤの別館前にあったんですが、タケモトピアノよりも強烈に脳にこびりつく歌が店の前から流れているお店で、名神の吹田インターそばのお城みたいな建物の葬儀屋さんも昔はけいちゃん寿司でした。
そして、巻すしを買って『今年の方向は〇〇〇です』と言われそっちむいて食べるんですが、今でも思うんですが、あれってなんか意味あるのかな。
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そもそも節分って何?
旧暦の立春から立春までが1年。2月4日が立春なので、その前の日までに厄を払い、来年は良い年であることをお祈りします。特に厄年の人は厄除けをした方がいいと言われています。この『節分祭』と「巻き寿司の丸かぶり」はあまり関係はないと思います。
ではなんで丸かぶり?
節分に豆をまいたり、ヒイラギイワシは厄除け(鬼)と関係ありますが、丸かぶりは節分や鬼とは全く関係ないようです。大阪市此花区のホームページに次のように紹介されています。
昔の節分の日、今は伝法地域となっている当時の申村(さるむら)では、「世念講(よねんこ)」といわれる講があり、そこでは村の若者や船頭衆や川人夫が集まって、夜通し雑談や将棋・囲碁・花札、墓場への肝試しなどを楽しんでいました。
このとき「巻き寿司」を食べることが当時の習慣でしたが、人数が多いので、巻き寿司を切り分けていては間に合わず「腹がすいた。切らずにそのままおくれ」の声が高まり、丸かぶりするようになったのが発祥と言われています。
なお、申(さる)村の名残は、今も庚申堂【こうしんどう】(現在の伝法5丁目8)にあります。
まるで今のファストフードですね。多くの人が集まって、素早く食事を提供する方法っだったのですね。
此花区のこの説以外にも色々あるのですが、まぁそんな感じで節分の厄除けとはあまり関係はなさそうです。
関係ないと言えば、この記事のアイキャッチ画像は『福』『内』『外』と節分にちなんだ漢字が並んでいますが、これは尼崎駅構内です。だから『鬼』はなく、『福』も福知山線の『福』です。なんとなく節分ぽいから使ってみました(笑)
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此花区伝法の旧申村の名残は庚申堂(こうしんどう)が残っています。
場所:庚申堂(こうしんどう)
住所:〒554-0002 大阪市此花区伝法5丁目8
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