祀られているのは3人の庄屋。でもなんで?
新大阪と西中島南方の間のビル街にひっそりとさいの木神社と言う場所があります。私もはじめ知りませんでしたが、道を歩いていると「さいの木神社←」の看板が目にはいり導かれるようにふらふらと、
この看板を曲がるとビルに囲まれた三角形のような形のさいの木神社がありました。
社務所などはなく無人ですが綺麗にいつも掃除されています。このさいの木神社の入り口の石版には
合祀
西尾六右衛門(山口村庄屋)
澤田久左衛門(大道村庄屋)
一柳太郎兵衛(新家村庄屋)
と書かれています。この庄屋さんはいったい何をしてここに祀られているんでしょうか?
良い事をしても命令違反で自決だって
入り口の石版の左側にはさらにこのような説明が
徳川四代将軍家綱の代 低湿地の西成郡二十三ヶ村淀川洪水のたびに荒廃した 疲弊した農民を救うため封建の世に一介の庄屋の身を犠牲にし京都郡代所の反対をおして延宝六年四月八日中島大水道の堀さくを完成 その責を負い当地にて自決され農民の神として当地の発展に寄与さる その遺徳を讃え当社に合祀
つまりこの周辺の土地が荒廃してその為に水路を造ってほしいと京都郡代所に頼むとなんらかの理由で断られ、では我らがと立ち上がったのがこの3人の庄屋さんだったんですね。その後命令違反の責任を負うはめになりこの地で切腹したと言うことですね。
すごい!疲弊した農民を救うために立ち上がった庄屋さんどんなお3方だったんでしょうか。
このさいの木神社が自決の地に建てられたと書かれてますが境内には移転何十周年記念祭の碑もあるので自決の地はここではない可能性があります。
中島大水道を見てみたかった。
この3人の庄屋さんが切り開いた川は中島大水道といい、戦前までは残っていたそうです。中島大水道に関しては十三のいま昔を歩こうの新之助さんの消えた中島大水道1(2007年10月24日)に詳しく紹介されています。
この中島大水道は新大阪駅の真ん中を通っていたんですね。
そういえば、新大阪駅でこれなんだ?と写真を撮ったものが、もしかしたら幻の地下接続歩道かと思ったんですが、古地図とあわせると中島大水道の跡の可能性が強いです。おもしろい!
さいの木神社には農民や自分たちの土地などを心配して立ち上がった庄屋さんが祀られています。大阪市北区周辺で農業のお祈りに物語的にもすばらしいので、是非ここへ参拝する方が少しでも増えたらうれしいなぁと思うし、3人の庄屋さんもええ事やってよかったと思ってくれはるかもしれません。
名称:さいの木神社
住所:〒532-0011 大阪府大阪市淀川区西中島7-7
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