今日は曽根崎心中の日だそうです
4月7日は曽根崎心中の日だそうです。でも曽根崎心中てどんな話か意外と知らない人多いんではありません?復讐のために、高利貸しになる話?いえいえそれは金色夜叉の貫一の話です。
では曽根崎心中ってどんな話かと言うと
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以外と知らない曽根崎心中のストーリー
八軒家かいわいマガジンより
心中事件とその時代背景 お初徳兵衛の悲恋― 曽根崎心中の背景を探る
宝永元年(一七〇四)に「心中大鑑」という浮世草紙が刊行されています。著者は書方軒。京や大坂などでの二十一にも及ぶ心中事件が取り上げられています(内、大坂の心中が八件)。もちろん、お初・徳兵衛の心中も紹介されています。おおむねつぎのような話です。元禄十六年の四月七日のことでした。
醤油屋の手代、徳兵衛が見初めたのは
堂島新地天満屋の人気女郎のお初「お初は堂島新地天満屋の売れっ子女郎だった。相手の徳兵衛は、内本町の大坂一の醤油屋、平野屋忠右衛門の店の手代(主人の甥)で、堂島新地の担当。丁稚に醤油桶をかつがせて、一軒一軒ご用を聞いて量り売りをしていた。醤油屋には惜しいようないい男だったという。最初に出会ったその夜からお初は徳兵衛に夢中になる。それからあとは徳兵衛はもう毎日のようにお初の元に通い始める。夜は金も掛かるので朝から夕方までの間に通い続けた。お初は二十一才、徳兵衛は二十五才。
その頃、平野屋の江戸店で、古参の手代が売掛金百八十五両を持ち逃げする事件が起こった。そこで平野屋の忠右衛門は、十八才になる養子娘に徳兵衛を縁組させて江戸店をまかせようとした。本来なら願ってもない話だが、徳兵衛にはお初がいる。いてもたってもいられず徳兵衛は天満屋に向かった。
一方、天満屋では大坂で一年余りも遊興三昧していた豊後(大分)の客が二、三日後に郷里に帰るという。その際、なじみになっていたお初を身請けして連れて帰るという話が亭主との間でまとまっていた。お初はその夜のうちに腰の物で死んでしまおうと覚悟を決めた。階下へ下りてゆくとそこで徳兵衛とばったり。二人が別れ別れに切り裂かれることは目に見えている。二人は闇に紛れて曾根崎の天神の森へ向かいそこで心中した」
これが実際にあった心中事件のあらましです(浮世草紙ですからそれなりに潤色を加えてあるでしょうが、ほぼもとの事件を忠実に記していると思われます)。
こんな話だったんですね。後半の井原西鶴の心中観もすごいですが、あんまりつっこむと長くなるので省きます。
話は戻って曽根崎心中。曽根崎心中と言えば、そう露天神社(お初天神)です。
久しぶりに露天神社(お初天神)に行ったら以前より恋愛の神社になっていました。前はこんな恋愛成就な神社でなかったような・・・これも時代かなぁ。
露天神社(お初天神)は菅原道真公の左遷の時に寄ったとされるが、主に立ち寄った場所は道真公死後に天満宮になるところが多いのですが、ここは天満宮ではありません。淡路の菅原天満宮に立ち寄ったあと大阪天満宮によってその後に福島に寄られ(今の福島天満宮)その時に船頭さんの計らいで大融寺によってそのついでに立ち寄られたそうです。ちなみにすぎ近くの神山町の綱敷天神社も道真公を祀ってますが、一本の紅梅が今を盛りと咲き匂っており、しばしこの梅を眺めるため、船の艫綱(ともづな)をたぐりよせ、即席の座席としたことが「綱敷(つなしき)」の名の由来となるという。
露天神社(お初天神)ではここで詠われたという歌「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」があります。
なんとも道真公は人気である(笑)
境内の末社は今回紹介せずに今日の話題曽根崎心中のところを中心にお伝えします。
グッズ(グッズのホームページ)もたくさん売っていて、恋愛関係の絵馬もたくさん納められていました。人の恋愛の絵馬を読むほど野暮ではありませんが、真田山の鎌八幡の絵馬と正反対のオーラが出ていました(笑)
名称:露天神社(お初天神)
住所:〒530-0057 大阪府大阪市北区曽根崎2丁目5番4号
電話:06-6311-0895
参拝: 時間:6:00~24:00(社務所 9:00~18:00)
ホームページ:露 天神社
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