天満橋筋を南から北上すると左側に昔から天下一品があって右側に5.6年前に駐車場があるラーメン屋ができて、その横に黒い大理石の豪勢なお寺があったりとこの辺はにぎやかなのですが、その先の右側にさざなみ プラザと言う大きな団地が見えてきます。
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左側は少し奥にこの辺りの地名でもある国分寺と大阪一当選倍率の高い市営の国分寺団地があります。その少し先豊崎東小学校のところに左に曲がると天八方面に少し早くなる抜け道があります。文章で書くと長ったらしいいですが、けっこう皆さんと追ったことがある道です。その抜け道と天神橋筋の間に神社みたいなものがあります。天神橋筋から見ると大きな看板があります。「鶯塚」と書かれています。
鶯塚ってなんでしょう。「摂津名所図会」という、寛政8年から10年(1796~98)に刊行された摂津国の観光案内書の長柄渡口の右下にも描かれています。
拡大してみると
「鶯塚 六ッ英の古梅あり」と書かれてますね。
近づいてみると、どうも左はお稲荷さんが祀られている様です。右の石は籐八大明神とかかれてあります。
その裏側にはお地蔵さんたちが、貞享3(1686)銘の五輪塔も。
由来を書いた看板があったので、読んでみることに
この鶯塚は今から千二百年ほど昔、長柄長者の美姫が鶯を飼って人間の様にに可愛がっていた。ところがこの姫が病の為に死ぬと鶯は深くその死を悲しみ歌を詠み後を追う如く死んでしまった。
長者たちは、このうるわし話しを後世までも伝えようと鶯を姫と一緒に埋葬して鶯塚と名付けたと言われている。又長柄は千三百十年前人皇台三十六代孝徳天皇の遺跡で中大兄皇子(後、天智天皇)及び中臣の鎌足(藤原氏祖)と共に蘇我氏の専横を退けて、大化の改新を断行された由緒の地で、「摂津名所図絵」によると「孝徳天皇の御陵は南河内の山田村に古来より鶯凌と称へられているので、この鶯塚も天皇に関係の高貴の方の御墓であろう」とある。
又今から二百四十年前の正徳三年夏、河内狭山の藩士で笹本源之介が父の仇加州の浪人羽滝伝太郎を母と共に四年間さがしもとめて遂に長柄長者の配慮により、この鶯塚のほとりで見事仇討ちをとげ狭山藩に帰ってから長者の娘お梅を妻に迎えたと云う、この鶯塚を舞台にした芝居もある。昔は小丘の上五輪塔の墓があって、その前に「鶯塚」と刻んだ今の石標が立てられ小庵もあって四時薫香が絶えなかったと言う。
昭和三十一年秋
史深会調べ
鶯塚保存会
どうも諸説あるようである。この今見てきた中でどれが鶯塚かと思ってもう1回確かめてみると、なんとノーマークだった山登りで言う一等三角点みたいなこの碑がそうでした。
後ろから見ると木には支えがありました。
【おまけ】
この鶯塚を道路挟んで向こうにある喫茶店の名前は「うぐいす亭」でした。きっとこの場所が良くて開業したオーナーさんなんでしょうね!
参考サイト:長柄の鶯塚 十三のいま昔を歩こう
東生郡 鶯塚 摂津名所図会
自分なりに説明しようかと思いましたが、十三のいま昔を歩こうの新之助さんの記事にそっくりな展開にorz。意識してないと言ったらうそですが、できるだけ真似しないように書いてもこうなっちゃいました。
梅の木は今はないですね。
名称:鶯塚
住所:〒531-0062 大阪府大阪市北区長柄中2丁目付近
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