まち歩き 歴史

教えてください町歩きのコツと最近聞かれるので

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たまに聞かれる町歩きのコツ

最近町歩きのコツを教えてくださいと聞かれることが増えました。今まではただ歩いて気になるものを撮影してるただそれだけです。と言っていましたが、最近その説明では不親切だと言うことが分かりました。

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私の言ってることは正しいのですが、本当に何も考えずに歩いていても撮影するものすらありません。私は歩きながらこの家はいつ頃建てられた家だろう。この路地は、このマンション昔は何だったんだろうとあの煙突は銭湯か工場かなどそれなりに考えて歩いています。でもそれはいつものことなのでただ歩いていますと説明しますが、表現を変えると目の前に見える物を可能な限りチェックしてます。そう言わないといけないことに気が付きました。

そういうことに気を付けて歩くと町はどう見えるのかと言うことですが、例えばJR環状線の京橋駅と森之宮の駅の間を例にしてみましょう。

まず京橋をでて森之宮に向かうと気になるのはこの遺構これはなんでしょうか?
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この先にはこのような風景があります。
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ここは昔何だったんでしょうか?なんとなく線路って思った方。ではその線路はどこと繋がっていたんでしょうか?

昔ここは何だったんでしょうか?は難しいという方見た目でわかるようなネタも探します。
環状線から丸見えなので大阪の人なら結構知っている京橋のホテル王将。他府県の人なら餃子の王将しか見たことないので驚替えれるはずです。
私の学生時代の友人は当時勇気を振り絞って、彼女に中華料理の話を散々した後に「王将行こう」と言うたそうです。(苦笑)
また単に王将の看板を撮るだけでなく、環状線の電車を写す方がいいですね。画像は201系ですが、欲を言えばもうすぐなくなる103系で撮影したい所です。
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京橋から森之宮の方へ歩いていくと、大衆食堂 日本一と言う名前の食堂があります。このお店も店名だけで記事にできそうなお店です。食べに入って大将に店名の由来とか聞いたら楽しそう。
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そして、次にこの架道橋。こんどは103系を入れて撮影しました。右下にお地蔵さんを入れて撮影するのもミソです。
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この架道橋の手前側に元城東貨物線だった名残がありますが、この跡地は実はとある私鉄の線路予定地になる予定でした。この風景を見て単なる廃線跡と思うだけでなく、ここがその後私鉄の線路予定地になる計画があったこととまで調べることができるときっと町歩きが楽しくなりますよ。
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ちなみに、その私鉄がここを通る証拠はこの架道橋近くにその私鉄が設置費を負担した乗越橋(ガード)があるし、環状線の天満あたりから梅田までの不自然な空き地はこの私鉄の線路予定地になるそうだった。

ここまで読んでその私鉄のい名前がわかればその遺構探して町歩きするのも楽しいと思います。

今のヘップがその私鉄の梅田駅予定地であったことや、今も走っているその私鉄の分岐予定駅が今は普通しかとまらないのに島式ホームであることなどつながりが見つけられるかもしれません。

町を歩くときはいろいろなことを五感で感じながらそれを整理していくと楽しいですよ。

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平井 裕三(管理人)
どんな時でも楽しく人生の達人(Master of Life )を目指し、かまやつひろしの「どうにかなるさ」を口ずさむ40代のおっさん。 個人の活動はMaster of Life』で発信中。上の名前をクリックするとjumpします。

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