まち歩き 歴史

旧申村の庚申堂(こうしんどう) @此花区

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伝法川の流れ
何回かお伝えしている此花区伝法周辺。数回足を運ぶとこの地域の昔のことが想像できるようになりました。上記の地図は昔伝法川が流れていた跡を塗った地図ですが、これはごく最近の話で本当の伝法は北を流れる新淀川が無い時代が面白かったんだと思います。特に伝法川より北の北伝法は福町などともつながっており、尼崎方面から来る人や、大阪に着く舟などでにぎわって活気があったんでしょうね。
伝法水門手前で途切れている尼崎街道の終点の少し脇に庚申堂(こうしんどう)があります。

昔の此花には申村と言う地名があった

庚申堂(こうしんどう)とは
ウィキペディアでいつものように庚申堂(こうしんどう)を調べるとなんと今回紹介する庚申堂が載っていません。しかも説明書きも
庚申信仰に基づいて建立される仏堂のひとつ。
えらいあっさりです。上の地図で6のところです。
此花区のサイトでは下記のように説明がありました。

国家安泰、五穀豊穣を祈願して申村(さるむら)神社を創建。境内には、住吉社・愛宕社・庚申社の三社を祀っていました。しかし、明治10年(1877)、愛宕社は本宮鴉宮(からすのみや)に、明治42年(1909)住吉社は澪標(みおつくし)住吉神社に合祀され、地元の強い希望で「庚申社」は「庚申堂」と改称されて残りました。申(さる)を施した彫刻の飾りがあることから、申神社とも呼ばれています。

庚申信仰についてもうすこし調べると
庚申とは干支(えと) 即ち、庚(かのえ)申(さる)の日を意味し、この夜に人間の体の中にいる三尸の虫が、寝ている間に体から脱け出して、天帝にその人間の行った悪行を告げ口に行く。天帝は寿命を司る神であるから、悪いことをした人に罰として寿命を縮める。ところが、三尸の虫は、人間が寝ている間にしか体から脱け出ることができないので、庚申日は、徹夜をする、これを庚申待ちという。
この庚申待の行事にさまざまなことを行って徹夜していたが、青面金剛はこの三尸の虫を喰ってしまうので、いつの頃からか、庚申待ちには、この青面金剛を本尊として拝むようになり、庚申イコール青面金剛となった。
また、この日、睡眠をささげて、一晩一心に願い続ければ如何なる願いも叶うとされている。
引用元:八坂庚申堂

説明が長くなってしまいましたが、この地は昔申村と呼ばれていたこの土地で愛宕社・住吉社が同じ此花区の別の場所に移っていた中で地元の要望で残った唯一の社です。庚申神社は庚申堂に名称が変わりましたが、今もこの地で歴史を刻んでいます。この桃の木で桃をかじっているサルの愛嬌があること。
庚申堂


昭和7年5月建立の合祀記念碑などがあります。
昭和25年9月3日・ジェーン台風のときとか大丈夫だったんでしょうか。
またすぐちかくには庚申湯と言う名の銭湯があります。ピンボケでアップできませんが、薪でお湯を沸かしています。また町中にそびえる煙突の風景も最近すっかり見かけなくなりました。ちょっと遠いですが1度行きたいです。
庚申湯

実は此花の伝法(旧申村)が巻き寿司の丸かぶり発祥の地!

【おまけ】今や節分(2月3日)の定番である「巻き寿司の丸かぶり」。
 実は此花区の伝法(当時の申村=さるむら)が「発祥の地」と言われています。
参照元:此花区ホームページ
全国の特に関西のお寿司屋さん1度此花の庚申堂にお参りに行かはったらどうですか?
庚申堂
名称:庚申堂(こうしんどう)
住所:〒554-0002 大阪府大阪市此花区伝法5-8

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平井 裕三(管理人)
どんな時でも楽しく人生の達人(Master of Life )を目指し、かまやつひろしの「どうにかなるさ」を口ずさむ40代のおっさん。 個人の活動はMaster of Life』で発信中。上の名前をクリックするとjumpします。

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